我が家の息子も先月末に6歳を迎え、いよいよ来年は小学校です。
あと、4か月先には小学校で勉強がスタートするわけですが、幼稚園に入ってからすぐに、Z会に始まり、ベネッセやジャストシステムのスマイルゼミといろいろ本人の意向も聞きながら、やっていたのですが、息子の興味のある実験系やタブレットでクイズ形式のものを除いて、どれも息子のおもちゃ箱に埋もれてしまいました。
妻と私も一緒にやってみようか?と息子の機嫌のよい時を見計らって誘ってみるのですが、すぐに体をくねらせてごてだし、終了です。
幼稚園の担任の先生からも、先日の個人懇談会の時に、息子の様子について、“勉強を教えるという雰囲気の中では学ぶことが難しいと思うので、日常生活の遊びの中で一緒に楽しみながら学びをリードされてはどうでしょうか?”と助言をいただいたばかり。
わかってはいるのですが、具体的にどのようにしていけば良いのか?なかなかの難問です。
ということで、今回は、今、我が家で行っている就学時に向けての考え方と具体的な事例を紹介したいと思います。
習うことが難しい子どもが増えている?
子どもに教えるという方法は、昔から「読み書きそろばん」という言葉があるように、子どもが人間として生きていくために必要な知識を先生から習う(先に生まれた生きる術を知っているものから、知識を受け取り、それを繰り返し繰り返し練習して身につける)というスタイルが採られてきました。
みなさんもご存じの通り、現在でも学校では、ひらがな、カタカナ、漢字を覚える、九九の暗唱、たしざん、ひきざん等々と覚えて身につくまで、ひたすら繰り返し練習することだらけです。
しかしながら、現代における子どもは、アメリカでも発達障害は増加しているという話※1や、国内でも特別支援学級において自閉症・情緒障害の在籍者数が過去13年で約3.4倍、通級と呼ばれる通常学級在籍者数の中で部分的に特別支援を受けている児童数が、過去13年間で約5.1倍に増加しています。
出典:上記2つのグラフのデータについて
平成20年の数値は、文部科学省 令和元年9月25日 「日本の特別支援教育の状況について」P10,P11のグラフ数値を使用。
https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/2019/09/__icsFiles/afieldfile/2019/09/24/1421554_3_1.pdf
令和2年の数値は、文部科学省 令和3年「特別支援教育行政の現状及び令和3年度事業について」P3の表中の数値を使用。
http://www.rehab.go.jp/application/files/5216/1550/6855/2_.pdf
※1参考サイト
さらに、WHOは、1965年~1974年の間、「国際疾病分類ICD-8」において、境界知能(IQがおよそ70~84)に該当する人を、「ボーダーラインの精神遅滞」すなわち知的障害と分類された時期がありました。
しかし、1975年からは、この分類がなくなり、知的障害の診断基準は、IQが70未満とされました。
理由は、この判断基準を適用すると、人口の約14%(日本では、約1700万人)が知的障害者となってしまうためと推察されています。
参考文献:立命館大学産業社会学部教授 宮口幸治著『境界知能とグレーゾーンの子どもたち』2020年8月,株式会社扶桑社
おそらく、それだけの人数に従来からある行政サポートを適用させることは、財政面からも難しいとの事情があったのかもしれません。
これは、国民全体の話なのですが、子どもの場合に限っても、境界知能に該当する子どもは、現在では普通学級がほとんどだと思います。
総務省人口推計によると、2021年4月1日現在の日本における15歳未満の子どもの数は、1493万人と発表されているので、単純にその14%とすると境界知能に該当する子どもは、約200万人と推定されます。
併せて、最近では、発達障害とまでは診断されなくても、その傾向が強い「グレーゾーン」と呼ばれる子どもの存在も見られます。
身近なところでは、我が家の住んでいる小学校の来年の特別支援学級数も、ここ数年で急増しています。
このような状況下では、やはり、根気強く新しい知識を「習う」ためのドリルや自主的な暗記の努力を強いる従来の教育方法では、立ち行かなくなるケースが増えていくように思います。
まぁ、医療技術が進歩して昔ではわからなかった部分が見えてきたということや、さまざまな疾病診断基準も時代とともに変わってきたという所もあるのでしょうが、このように、一定数の「習う」ということが難しい子どもは、明らかに存在するというのも事実です。
息子の学びを阻んでいるもの
現在6歳の息子は、自分の興味のある電車やクラゲ、天体や地震、雷といったことについては、かなりの知識がある反面、文字や数字の読み書きは遅れ気味です。
また、性格的には、5歳の半ばまでは、自分が失敗した時や、間違った時は、かなりの確率で20分から30分くらいフリーズ状態になり、何を話しかけてもうつむいたままになっていました。
優しくこちらが何とかしようと思えば思うほど、だんまりから大声で泣きじゃくり、癇癪に発展することもしばしばでした。
親としても心配なので、専門医に見ていただくも、診断名はつかないまでも、年齢的には発達が遅れ気味ということでした。
確定はしていませんが、おそらくグレーゾーンなのかなぁ?と思います。
5歳も半ば頃に、息子の状態を何とか良い方向に向かわせようと、我が家の教育方法を見直し、そして5か月後の6歳を迎える前あたりにかけて、徐々にフリーズと癇癪は減っていきました。
このあたりの話は、以前のブログで紹介させていただいた通りです。
この我が家の子育て方法の大転換で6歳を迎える前頃には、フリーズは、2日に1回程度、癇癪は、ほとんど見られなくなりました。
でも、一旦、フリーズに入ってしまうと4歳の時と変わらず何も言わない、目を合わせない状態でした。
“ご飯頑張って食べてるね”など息子が頑張っていることをわかっているという趣旨の会話や、“夜中にトイレに起きて、すごいなぁ”等できたことについて褒める会話をしているのですが、なかなかです。
そのような中、しばらく息子のフリーズする前後の様子をじっくり見ているとわかってきたことが一つ。
どうも、自分がお約束を守らなかった時やわがままを言って妻を困らせた時など、それが私にバレた時にフリーズが起きているように見えました。
そして、その時の息子の心理状態は、おそらく下図のような過程でフリーズに至っていると考えました。
息子は、やってはいけないことを認識できているからこそ、やってしまった時に私が来ると、フリーズ体制に入るんだと思います。
やっぱり、4歳までに怖い存在だった父親は、顕在なんだと感じました。
以上からフリーズの原因は、父親への恐怖からだと思うので、その対策として、私が注意すべきことは、息子が過ちを犯した時に、親が教えを与えるのではなく、息子の過ちを犯した時の心をくみ取り、その上で、一緒になぜそうなったのか?また同じようなことが起こったらどのようにする?等々色々息子自身に考えさせ、会話を成立させることが必要だと考えました。
また、会話を成立させるための具体的なやり方は、感情的な言葉や怒っている表情、命令形や断言的な言葉使いに気を付けて、穏やかに、でも真剣に息子と向かい合うようにしました。
そして、最終的に息子も納得し、息子が謝罪に至ったときには、必ず笑顔で抱っこをするようにしています。
毎日の中での、このような子育てに変えて2か月ほど経った今でも、わがままやお約束破りをすることがなくなることはありませんが、そのような時にフリーズすることは、ほとんどなくなりました。
息子の学びを阻んでいる三要素の解消方法
前述のとおり、フリーズはなくなったものの、いざ何かを「習う」ということに至っては、非常に難しい状態です。
まず最初の課題は、自分の名前を書くこと。
いちばん最初は、お手本の文字がないことには、息子が書きようがないと思い、私が息子の名前を大きく紙に書いて渡しました。
続いて、文字を実際何度も息子の見ている前で書いて、書き順というものがあることを教えました。
最初の5分くらいは、一生懸命書いていましたが、私が教えながらだとすぐにやめてしまいました。
どうも、私に教えられるということが、“教えられる→自分はうまくできていない→何度も教えられる→自分は、何度やってもうまくできない→どうせやってもだめ”という感じになっているようでした。
そして文字を書いているところを見ていると、文字を書くというより、私の書いた文字を見て絵を描いているという感じで、一部鏡文字にもなっていました。
鏡文字については、妻の話では、“鏡文字は、幼児にはよく見られることで、通常は、子どもの発達とともに自然と解消されるので心配はない”と言っていたので、少しホッとしましたが、果たして、どのようにすれば、文字が書けるようになるのか?
まずは、5分でやめてしまった所の根本原因を考えていました。
そして、私の頭に浮かんできた言葉は、3つ。
“自己肯定感が低い”、”レジリエンス力が低い”、“忍耐力が低い”。
これが、息子の学びを阻んでいる三要素だと感じました。
そして、息子の学びを阻んでいる三要素を解消するためには、息子にどのようなアプローチをしていけば解消されるのか?を考えました。
まず、この3つの関係を、下図のように考えました。
自己肯定感が低いことが、根っこにあり、レジリエンス力が低く(打たれ弱い)、忍耐力も低い(興味がないものは、すぐにやめる、癇癪を起す)に繋がっていると推察しました。
ならば、具体的な解決法としては、どのようにすれば良いのか?を考えるために、人間の欲求に関する成長説で科学的根拠はないものの定評のあるマズローの欲求段階説に子どもの発達要素を重ねて考えてみました。
息子の現状は、衣食住は問題なく、両親そろっての子育てプラス祖父母、姪っ子からもかわいがってくれています。
ということで、第三段階の所属と愛の欲求までは問題ないと思うのですが、次の承認欲求でうまくいっていないんだと思いました。
息子が努力していることをしっかり見て認める会話やできたことを具体的に褒めることは、すでに心掛けているつもりなのですが、まだ何かが足りない。
そんなある日、自分の名前がどおしてもうまく書けない息子に、“一緒にひろくんのお名前かこうか?”と誘ったら、意外にも“やる!”と言ってくれたので、その時は、息子に鉛筆を持たせ、その息子の手の上に私の手を重ねて、自分の名前を一緒に書きました。
文字を書くときは、私は言葉で“まっすぐ横に書いて、次は、まっすぐ下に書いて・・・”というふうに鉛筆を走らせる方向を息子に言って、あくまでえんぴつを動かすのは、息子です。
動かす方向が少しくらいずれても気にせず一緒にどんどん書きました。
その日は、仕事をしているママにお手紙を書きたいと息子が言うので、一緒に書きました。
書いた内容は、“ままだいすき”のたった6文字の短いお手紙。
妻が帰宅してすぐに息子がニコニコしながら、“ママ、はいお手紙”とお手紙を渡しました。
妻は、たいそう喜んで、息子も得意げに“これ僕が書いたんだよ!”と言って目を輝かせてました。
そして、この日を境に、息子の1行お手紙が始まりました。
あれだけ文字を書くことに見向きもしなかった息子が、今では、毎日、お手紙をくれます。
ちなみに、文字は、“ぱぱだいすき”と書いてあります。
文字としては、鏡文字もあり、まだまだですが、自分からどんどん書くということは、大きな進歩だと思います。
秋の海岸公園で字遊び
それから1か月後、妻が股関節を手術した術後リハビリの一環として、歩く姿勢のチェックをしに京都府舞鶴市まで出かけた時、リハビリが終了するまでの時間が3時間ほどあり、事前に調べておいた舞鶴親海公園へ息子と一緒に行ってきました。
ここで砂浜で字遊びをすることにしました。
と言っても、砂浜に自分の名前を棒で書くだけなんですが、2時間もずーっとやってました。
この日は、ちょうど満ち潮だったので、せっかく書いた字が波ですぐに消されてしまうので、息子は、文字が消えない工夫をしだしました。
実は、息子は海が好き、砂遊びは幼稚園で一番のお気に入りの遊び、水辺の遊びも大好きなので、いろいろ探してここを選んだんです。
帰る時も、息子は“また、ぜったい来たい!”と言ってました。
遊び三昧が、意識しないうちに文字三昧に。
おかげで、自分の名前も、まだ名前の部分だけですが、あの鏡文字からかなり上達しました。
息子の躾も遊びから
息子は、なぜか自宅での食事の時だけ、時間が限りなく長かったんです。
朝食は、ほっておいたら1時間くらいは、普通にかかってしまいます。
夕食に至っては、同じようにほっておいたら2時間ということも。
さらに、それだけ時間がかかったわりには、お残しが多くてまいりました。
味が良くないなら仕方がないと思うのですが、妻に味見をしてもらっても問題なく美味しいと言ってくれているので、なぜ???
念のため、息子に“ご飯おいしくない?”と聞いてみたのですが、そのようなことはないらしい。
妻に相談すると、妻は、“子どもなんて、おなかが減ったら言われなくても食べるので気にしなくてもいいんじゃない。”とのこと。
その一方で、幼稚園で食べる自宅のお弁当は、息子は、一度も残したことがありません。
幼稚園の先生にも、息子の食事の時の状況を聞いてみたのですが、特に食が進まないとか、幼稚園の担任がサポートしているというようなことはないそうで、謎は深まるばかり。
やっぱり、友達通しで食べるので食が自然と進むのかなぁ?くらいしか思いつきませんでした。
そんな何も良い考えも思い浮かばないまま、転機は、またもや全く予想しなかったところからやってきました。
それは、6歳の誕生日を迎えた日のことです。
その日は、電車好きの息子のために、豪華寝台列車トワイライトエキスプレス瑞風を見に行くことにしていました。
当日は、転機もよく息子もテンション上がりまくりで、大満足でした。
そして帰宅後、もう息子の頭の中は、瑞風一色。
早速、いつもの油ねんどで瑞風が通る線路や架線から本体に至るまで何時間も作っていました。
さらに、幼稚園でも箱や紙の筒、画用紙で瑞風本体を作って、さらに線路からトンネル、橋に至るまで毎日製作に取り掛かっているとのこと。
息子が変わったのは、これだけではなく、意外にもなんと食事の時にも嬉しい変化がありました。
息子が食事をして、一品全部食べ終わると、空になった食器を持ってキッチンまで電車のアナウンスをしながらもってきてくれるのです。
その電車の名前は、ピカピカ列車瑞風。
たまに、名前がピカピカ列車になったりタンゴエクスプローラーになったりします。
実際の息子のアナウンスは、こんな調子です。この時は、空のお皿を3個運びました。
ピカピカ列車は、食事後の空の食器のことで、これをどうも電車になぞらえてキッチンまで運んでいるようです。
息子にとって、これは楽しいひと時なのでしょう。
この遊びを初めてから、息子はピカピカ列車を運行したいがため、食事をほとんど完食してくれます。
そして、気になる食事時間も、息子によると瑞風は、特急なので早いのだそうで、20分くらいで食事を終わります。
但し、一つだけ条件があって、それは、息子が食事をしている時は、一人にして、決して覗いてはいけないのです。
なんだか昔話の鶴の恩返しのような話ですが本当なんです。(笑)
まとめ
今から思えば、息子のフリーズや自己肯定感の低さは、すべて私のかかわり方に問題があったのだと思います。
しっかり、息子を見ているつもりでも、いつしか親の事情が優先してしまったり、かかわり方がボタンの掛け違っていたりと反省点が多々ありました。
息子は、正直、「習う」ことは苦手だと思いますが、従来の方法に拘らなければ、うれしいことに学びは確実にできていると思います。
これから、子どもたちが社会に出て活躍できるようになるためには、当然、読み書きICTができることは必須になると思います。
でも、それを可能にするためには、子どもの個々にマッチした方法で学びを深めていくことを考慮することが望ましいと感じます。
最後に、山本五十六氏のあの有名な言葉、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」をもじって、結びたいと思います。
「やってみせ、共に考え、させてみせ、遊び褒めねば、子どもは育たじ」